私が昔「昼休みでも仕事をする人」をやっていた5つの理由

つぶや記

私が「昼休みでも仕事をする人」だった5つの理由

認められたかったから

頑張っている自分を認めてもらいたくて、他の人と差をつけるために、昼休みも休まずに仕事していました。

だって「おっ、お前頑張ってるな。」って言われたかったんだもん…。

流行の承認欲求とやらです。

これとセットになるのが「いや、俺、要領が悪いんで…。」と自分を卑下するワードです。

「そんなことねぇよ、お前は頑張ってるよ。」とも言って欲しかったのであります…。

仕事だけではない気持ちを重んじたかったから

仕事は自分の生活手段の一つにすぎません。

しかしそれだけではない、仕事とは人と人との心が通うものであると考えている私は、自分の仕事で職場がハッピーになれば…と願う気持ちから、休む間も惜しんで仕事をしました。

休み時間は給料が発生しませんが、そのときはお金が目的ではなかったので気にはなりませんでした。

ただ、それで自分が報われたかどうかはまた別問題です。

向上心がないと思われるのが嫌だったから

他人から良く見られたいと思う気持ちが強い私は、休んでいる姿を見せることに抵抗がありました。

「大した仕事ぶりを見せないくせに、休むときはしっかり休むんだな」とか思われてたら嫌だな…と思う気持ちが焦燥感に変わり、休み時間も働き続けていました。

今ならばもしそう言われようものなら「はい!」と言い返してやります。

やれば自分の人生の「何か」が変わると思っていたから

成功者とそうでない者を分ける習慣があるように、「多くの人とは違う道を歩めばいつか成功者になれるかもしれない」という思いを持っていました。

イエローハットの創業者である鍵山秀三郎さんは、人に呆れられながらもひたすらトイレ掃除を続けてきたと言います。

だとするならば、鍵山秀三郎さんから学びとるべき姿勢を完全に履き違えていました。

単純にやらなきゃ終わらないから

毎日、自分が立てた1日のスケジュールにはまらず、遅れを取り戻すために昼休みに仕事をしていました。

かと言って定時内にも収まらずに、結局残業することになるのですが…。

毎日そうなっているにも関わらず、「何故予定どおりに仕事が進まないのか」を考えている暇がないからと機関車みたいに動き続けていました。

はたから見ればさぞ滑稽な姿だったことでしょう。

「何で?」を考えるようになって昼休みの仕事をやめた

自分の「気持ち」と「行動」の乖離を感じた私は、「何でこんなことしているの?」と徹底的に考えました。

それをすることで自分の気持ちに合った行動ができるよう見直したのです。

理由が分からないまま疲弊していくのが一番良くないことだと考えたためです。

  • 何で休み時間にまで働く必要があるのか?
  • 認められている人はどういうところで評価されているのか?
  • 「仕事ではない気持ちを重んじたい」と言うが、それで自分は幸せなのか?
  • 自分のスケジュール設定がタイト過ぎないか?

「何で?」を常に考えることこそが自分を守る手段です。

会社からすれば休み時間も働く人は都合が良い人材なので、私の経験上では大抵は黙認されています。

つまりは褒められたい認められたい人はやったって無駄ってこと。

どれだけ「会社や上司の役に立てるよう…」と思いながら働いても駒としてしか見てもらえず、私からしてみればその会社での仕事は所詮「金稼ぎの手段」でした。

見返りを求めない聖者にはなれません。

そもそも「やれば人生の『何か』が変わるかも…。」の「何か」ってなんだよ…、自分で説明できるのか?

説明もできずに、ただ漠然と綺麗事思い描いては、思考停止のまま動き続けるほどばかばかしいことはありません。

周りの人からは「損な性格」と冷やかされ、その上、上司は休み時間に働いている自分に対して無関心。

そら、そうだわな…。

ちょっとは頭を使えば良いのに、無駄に疲れるようなことを疑問にも思わずにひたすらやり続けてきた自分が良くなかったわけです…。

ふざけて生きるぐらいがちょうど良いですね。

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