貧乏くじを引く人生とは?
あなたは「自分の人生で貧乏くじを引くことが多い。」思っていますか?
- 他人の期待に過度に応えようとしてしまう。
- 他人事なのに放っておけない。
- 何にでも責任感や使命感を感じてしまう。
- 常に強迫観念にかられている。
貧乏くじをよく引いてしまう人はこのようなことが動機となり、自ら行動を起こしては苦労を被ることがしばしばあるかと思います。
「貧乏くじを引く」とは、多くの人が「自分には関係ない。」と切り捨てる物事を引き受けた結果、自分が損をしてしまうことを言い、損をすることが人生について回るのは、性格に起因することが多いためではないかと考えます。
それは確かに損の多い人生かもしれませんが、果たして悪いことばかりでしょうか?
本記事は、「貧乏くじを引いて損ばかりしている。」とよく周囲に揶揄される私が、貧乏くじを引き続けてよかったと思うことについてご紹介します。
貧乏くじを引く人生で良かったと思うこと

歳を重ねても新鮮な感性を持ち続けられる
自分が不利になる役回りを請け負うのはたしかにしんどいことですが、その中にあるのは悪いことばかりではないことに気付かされます。
- 周囲の人が自分に手を差し伸べてくれた。
- 自分が請け負った苦労の結果、誰かが喜んでくれた。
- 自分が主導権を握って行動できた。
- 人からご褒美をもらった。
- 新しい出会いがあった。
全体を通してみれば苦労するだけの貧乏くじかもしれませんが、そこから得られた意外なプラス要素は、面倒事を避けて得た期待通りのラクとは比べものにならないほど楽しいのです。
苦労を引き受けることでしか見たり感じたりできない、新鮮さや清々しさが必ずあります。
良い意味で鈍感になれる
人生苦労が多いとある程度のことは許容できるようになります。
神経を尖らせても仕方がないことなんてたくさんあるし、一喜一憂しているのは自分にとって得ではないと気づくためです。
つまり、少々の悪いことは目をつぶって考えることができるのです。
「鈍感力」という言葉があるように、考えても仕方がないことをシャットアウトする力が、貧乏くじを引いてきたことで育まれたように思います。
人生の経験値が抜きん出る
苦労事の経験数が多い人のほうが人生の経験値も高く、人を思いやるぐらいの気持ちにの余裕があります。
実際に私がそのようになれているのかは分かりませんが、これまでに出会ってきた苦労人の方々は、総じて思慮深く立場が弱い人にも優しく、そして常に俯瞰的視点を持った冷静な方ばかりでした。
中には同世代や年下にもそのような人がいて、生きている時間はほとんど同じでも乗り越えてきた山の数が違うことを、ただただ思い知らされました。
大切に思うものだけを大切にできる
不必要なものごとに対しての切り捨てが素早く、最小限の必要なものごとだけを大切にできるようになりました。
それは苦労や損を繰り返す中で、自分が貫きたい信念や存在意義に則したもの、そして人間関係などのあらゆる全てにおいて、不要なものは多く必要なものはちょっとだけだと気づくためです。
例えばこんな感じです。
- 自分が是とする範疇で人助けをする。(非とするものは断る。)
- 自分に苦労を被せて楽をしようとする人と関わるのをやめる。
- 理不尽から自分にとって必要なものだけを抽出して、そこだけ全力でやる。
何もわからずに突っ走って痛い思いをしていた頃もありましたが、タダで貧乏くじを喰らい続けるのは身を滅ぼすことになるので、必要以上のものごとを切り捨てることにしました。
人を味方につけるのが上手くなる
人と関わっていれば、高圧的な人やマウントを取ってくる人と話さなければならないなど、さまざまな面倒ごとがあります。
しかし苦労をたくさんしていると、「このような人と正面からぶつかって敵を増やすと余計面倒になる。」という思考回路が働くため、誰も傷つけないスルースキルを発動できるようになります。
私の場合は、「わざわざ気にかけてくれてありがとう。」という思いで迎えるようにしているため、彼らは敵ではありませんし、嫌いでもありません。
むしろ自分が請け負ったことの一部を彼らにも分担して請け負ってもらうことさえできているので、味方は多い方だと思っています。
確かに損ばかりするのが事実

「貧乏くじを引く」という言葉自体がネガティブな自己暗示にもなりかねません。
そう考えると、思いわずらうだけでも大損ですが、実際のところも損することの方が多いです。
- ものごとを背負いすぎた結果、自分が強い風当たりを受けることになる。
- 責任を丸投げするには好都合な人間だと思われる。
- 要領よく貧乏くじを避けた人から小馬鹿にされる。
- 背負いすぎたことで、自分の手が塞がる。
惨めな気持ちにさいなまれそうなぐらいですが、例え他人から吹っかけられたことであっても自らが背負った以上は自分の責任であり、誰のせいにすることもできません。
貧乏くじを引く人は「存在価値」を必ず見出せる

必ずと言ってよいことは、「誰もやりたくないことをやれる人はそれだけで存在価値がある。」ということです。
いつも貧乏くじを引いてばかりの人は苦労の末にやることを遂行した時点で、絶大な存在価値を持った人なのです。
例えば誰にも感謝されなかったとしてもです。
某サイトの創設者が「Youtuberとして有名になりたければう○こを食べてください。」と仰っていたのを何となく覚えています。
誰もやりたがらないことを進んでやるとお望み通りに有名になれる、ということの例え話だったかと思います。
それは極論で絶対にやっちゃダメですしその方も面白おかしく話されていましたが、同時にそれは意義を唱える隙が全くないほどの考え方でした。
たとえ不必要な苦労を背負ってしまう人であっても、自分の存在価値を必ず見出せるはずです。
この記事が「貧乏くじを引く人生を悲観している方」の助けになれたのであれば幸いです。
コメント