社会の歯車になりたくないと言うけれど、そんなに悪いことではないと思った話

つぶや記

「社会の歯車になるのではなく、弊社ではチャレンジャースピリットを持って挑戦的でやりがいのある仕事ができます。」

このフレーズは私が逃げるように辞めた会社の求人にあった文言だ。

社員一人一人のチャレンジャースピリットや、やりがいまでもを会社が引き出せると言うわけだから、それは大層な話である。

是非広げた大風呂敷に責任を持った上で採用活動にあたって欲しいと願う。

そもそもやりがいがどうかなんて会社が決めることではなく、そこで仕事している人たちが決めることなのだ。

疲弊した身体にも容赦なく「挑戦的な仕事」を投げつける魂胆が丸見えである。

当てにもならない宣伝文句を信用してはいけない。

「社会の歯車」の方がどれだけいいことか…。

一般企業に雇われる場合、そこでやりがいのある仕事をするためには、経営者の思想や仕事観が自分のそれとどれだけマッチしているのかが重要な要素になると考える。

そこがマッチしている人ほどラッキーケースで、会社の後ろ盾がありながら、自分はその中で思いっきり意欲的に仕事ができるだろう。

でも世の中の多くの人はおそらく、そうではないだろうからお金のため生活のために働くことになる。

ここで言う「社会の歯車」がこのようなことを指すのだろう。

それなら、無理矢理仕事にチャレンジャースピリットややりがいを求めるよりも、「社会の歯車」としてその他大勢の群れに紛れて生きている方がよほど自分に正直な社会生活が営める。

やる前からやりがいを求めてはいけない

では仕事にやりがいを求める人はどんな仕事であれば「やりがい」を感じるのだろうか。

案外そこが漠然としている人も多いのではないかと思う。

それではただのないものねだりになってしまう。

まずは多くを望まずに、最低限自分が体調を崩さずにできる仕事をやってみるのが良いのではないだろうか。

社会の歯車を悪い意味で捉えてはいけない。

歯車になってはまるべき所にはまり、社会を回すことは立派なことだし、生きている以上は社会の歯車だ。

人を大切にしない会社は必ずあり、そういうところは、あの手この手で耳あたりの良い言葉を並べては、意志が定まっていない人を取り込もうとしている。

そそのかされないよう、まずはまじめにこつこつと働ける場所を探して、仕事を通して自分がやりがいを感じることが何なのかを冷静に分析することが大切なことではないかと思う。

それでいて社会の歯車は素晴らしいと思う。

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