「仕事は面白おかしく、深掘りしながら、そしてたまにコーヒーを飲みながら」
私が前に務めていた会社の社長の言葉だ。
常に「当事者としての仕事」を全うされていたからこその言葉だと私は解釈していた。
もちろん会社の創設者としてそうであらねばならなかったのもあるかもしれないが、敢えてそのような状況に社長自身が身を置いたのは、探究心や面白いことをたくさんしたい気持ちからくるものだったのだと思う。
決して大船ではなく、泥船のような会社だった。
でも、大の大人が集まって時には子供みたいに体を張ってはピンチを切り抜けたり、一生懸命に真面目に考えた。
そして会社が倒産したときには私の貯金もほとんどなくなっており、「生活のためにお金を稼ぐ」という合理的システムからは大きく逸脱していた。
「自分のための仕事をすることの意味」がお金よりも大切だったからだ。
今考えてみればもう懲り懲りだが、一方でそれに気づけて本当によかった。
「脱サラが正しい選択だったかなんて、分からない」
社長は自分で立ち上げた会社の社長でありながら、その道が正解だったのかも何が正解なのかも分からないと言っていた。
結果会社は潰れているので、そのまま雇われ続けてサラリーマン続けている道も正解の一つだったのかもしれない。
いい歳していても自分のあり方については、常に悩み続けてしまうものだ。
でも私は「正解がわかる人」の方が信用ならないと思っている。
今の会社では先輩から「お前に迷いが生じたらそこをウィークポイントに突っついてくる輩が必ずいるから、その場は分かったふりでも何でもしろ。間違ってたら後で謝ればいいんだから。」と教え込まれた。
自分が傷つかないように回避する方法だろう。
その先輩の言うことが理解できないうちは、相当に食らい続けた。
しかも攻め込んでくる輩は大体「外野」という安全地帯からモノを言ってくる。
表面を取り繕わずに悩み続けることがどれだけ生きづらいことか、でもそれができるのがどれだけ格好良いことか。
今になって「格好良い人の格好悪い一面」についても理解が及ぶようになった。
いかに世間知らずだったかが思い知らされる。
今の会社に行ったことを一つだけ肯定するのであれば、「汚い世界を見られた」ということだろう。
さて、これからどうしようかな。
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