馬鹿を見るのは「真面目な人」ではなく、「真面目ぶった人」だと思った話。

つぶや記

馬鹿を見るのは「真面目な人」?

  • 自分では真面目にしているつもりなのに評価してもらえない。
  • 真面目になればなるほど周囲に冷やかされる。
  • 面倒ごとばかり押し付けられる。

「頑張っても無駄だ。どうせ真面目が馬鹿を見るのだ。」と嘆いてしまったことはありますか?

私も職場で何度も惨めな気持ちになりながら、このようなことを考えていました。

検索エンジンのビッグワードでも「真面目な人ほどバカを見る」が堂々鎮座しています。

でも、それって本当にそうなのでしょうか…?

同じことで嘆き続けなくて良いように、ここでしっかりと私なりの結論を出しておこうと考えた次第です。

それでは「不真面目な人は馬鹿を見ない」のか?

「真面目」を辞書で調べると、「真剣である。誠実である。」といった意味を持つ言葉であることが分かります。

しかし、「真面目な人ほどバカを見る」という言葉が悩める人たちの常套句となっていることを考えると、この場合の「真面目」はそれらの意味よりも、もっと広い意味を持つものと考えます。

ここで私が結論を出しやすいような「真面目」の定義を示しておきたいと思います。

『真面目』=『常に思考と行動を繰り返し実践する人』

それでは、「不真面目な人は馬鹿を見ない」のでしょうか?

一概に言えないとは思いますが、概ねの答えはNOですよね。

頭を使うことが重要とされる昨今です。

職場や学校によくいる「不真面目そうなのにうまいことやってる人」は、馬鹿を見せられるのも見せるのも全ては「人」であることをよく知っています。

つまり「真面目に人の顔を見ながら行動する人」で、彼らは人との関わりの中で自分にとってマイナスにならないための選択を常に考え実践しています。

それがいわゆる「要領の良い人たち」で、最短ルートでしがらみを潜り抜けながら自分の目的を達成するための方法を考られるれっきとした「真面目な人たち」なのです。

「真面目ぶってしまう人」が馬鹿を見てしまう

「とにかく何でも真面目に、一生懸命にやる。」というのは実直で素晴らしい姿勢です。

そうして努力してきたことは他人の評価では量れない立派な自分の財産になります。

しかしそれは同時に険しい道にもなり得ます。

そのような姿勢でなんでも真面目に取り組んでいれば、行動は十分でも考えることが手薄になってしまうからです。

やるべきことはもちろんやるべきですが、やらなくていいことに気づかずにそれすら真面目に取り組んでしまうことになってしまいます。

「馬鹿真面目」とはよく言ったもので、言い方は良くないですが、真面目な姿勢でいることが先行しすぎて、自分の行動一つ一つに対する思考が浅くなってしまいます。

つまり、このように「真面目ぶってしまう人」が無駄足を踏んでしまったり、人から冷めた目で見られてしまったり、「どうせ是非も問わないだろうから」と良いように扱われてしまいがちになってしまいます。

まずは考えが及ぶ範囲で「真面目に」やろう

何でも一生懸命になり過ぎてしまう人は、「何のためにそれをするのか?また目的を達成するためには何%の力を発揮するべきか?」を事前によく考えるようにしましょう。

自分の行動を闇雲なものではなく、より実りあるものにするためにも必要な思考です。

そして、ちょっとズルいかもしれませんが「自分が馬鹿を見ないためには今何をすべきか?」までを常に考えておくと、必要以上に落ち込むことなくモチベーションを保ちながらやるべきことを達成できます。

「思考」と「行動」のバランスを保つことで、少しでも馬鹿を見たと落ち込まずにあなたの真面目さが報われることを願っています。

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